人形の小話

暮れから正月にかけて、飾る品物 羽子板、破魔弓、破魔矢(掛け軸) の風習、伝統文化について 

昔、仏教と道教のどちらが尊いかという議論の結末をつけるために、

中国の明帝が、仏教と道教の儒者たちを、白馬寺の南門に集め、

道教の教典を右の壇の上に積み重ね、仏教の経巻を左の壇の上に積み重ね、

栴檀香に火をつけて、右と左に、火を移したところ、道教の経典は、めらめらと燃えあがった。

そこで道教の導師たちは、天に昇り、火に水を含ます術をおこなって、防ごうとしたが、経典はのこらず燃えてしまった。

 ところが仏教の経巻は、ふしぎにも五色の光る雲が、たなびいて、栴檀香の火をはねかえし、さらに教巻をまわりまわって、ふたのようになり、少しもこげなかった。

 このありさまに、天子は、ひだりのぎまさりー「左義長」といって、感心され、

道教の道士ら千百五十一人が、一度に出家して仏教の僧侶となったということで、

御所のお庭の三毬杖では、

「とうとや 左義長 法成就の池にこそ」 とうたいはやすのだということです。

まずは、いわれの原点は、このあたりなのかと考えています。

経典を燃やす三角の炎の意味は、悪いものは、消し去る聖火なのだと考えられました。

(藤沢衛彦氏図説日本民俗学全集より引用させていただきました。)

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